2016年12月13日火曜日

自分の殻を破る感覚


年の瀬を感じるこの頃、いろいろ考えが湧き立ちませんか?

私だけ?? かもしれませんが勝手に今日も綴ります..



与えられた人生の条件の中で、目的をもって進んでいく 

進みながら自分は何者なのか?を 探す旅を誰もがしている。





突然ですが


イモ虫 と 蝶 が いるとします。(ホントに突然だ...)





これらは、はたして別の生き物なのでしょうか?



さなぎという過程を経て、姿は変容するのだが



イモ虫の中に蝶の存在は元々あり存在し、

さなぎから羽化した蝶の中にもイモ虫は存在する。


であるならば、どちらも潜在的に同じ生き物であると言えはしないか?





現実の自分は、蝶になろうとさなぎになったかと思えば、

羽化せずにイモ虫に戻る。。


このように、 ふたつの間をいったりきたりをすることも多々ある。




さなぎからきらびやかな蝶になったと思い。



ひらひらと有頂天になって、派手にはためいていると



羽をもがれ地面に叩きおとされることが起きる




そしてまたイモ虫のように地面に這いつくばう



そんなこともあるでしょうし、



網で囚われ、殺されピンで差し止められ標本になり、



人前でさらされることになるかもしれません。





ひょっとすると、そんなことをどこかで恐れて(期待して)いるのかもしれない...





人生進んでいると どこかでタイミングが生じる。




さなぎになり背中の殻が割れて、自分の中に眠っている見出せなかった存在が取り出された時




まさに生まれ変わった感覚を得ることができる。





それは元に戻ったようなことなのかもしれない



もうあなたは忘れているかのもしれないが、


この世に初めて生まれてきた感覚と同じものだから....


誰しも一度は体験しているんだ。


ただあまりに昔の出来事で、その後の記憶が積もりすぎて、記憶がとりだすことができずにいる



と言うことで、覚えていないということとは違うのかもしれない....


さなぎの状態で脱皮を繰り返していき、自分の皮を剥きながら、


中にあるものを取り出していく作業を繰り返す。



殻を割って出てきたものはかならずとも蝶でなくても良い?



その姿が何も変わらなくても....殻を割ってその状態はまさに完璧なんだ、



たとえ姿が蝶でなくとも…ね     反響があればつづきます....

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